意外とみんな味見しないなぁということに気が付く

僕は料理を始めたのが24歳くらいと、

周りと比べてもだいぶ遅かったので、

(みんな18くらいで包丁握ってる)

人一倍やらないといけないなーと思っていました。


だからとにかく、作って食べる。

それをひたすら繰り返して、追いかける。

で、周りも料理人といえど意識はほとんどサラリーマン。

努力しつづける人は一部なので、

それなりの所には意外とすぐに行けます。

これはどんな仕事もそうかもしれないですね。


今日は味見についてちょっと思ったこと。

たとえば、玉ねぎを切る~加熱する

という仕事だけでも、

味見するポイントは無限にあります。


スライスする→食べる→からい!

→水にちょっとさらす→ちょっとからい

→ちゃんとさらす→なるほど

→さらさずに乾かす→これでええやん

→炒める→おいしい

→飴色→!?


乱切りする→かじる→かっっらい!

→ちょっと焼く→微妙にからい

→しっかり焼く→おいしい

→煮込む→おいしい


みたいな、

・切り方(スライス、乱、輪、みじん、丸ごと、、)

・下処理(水にさらす、しぼる、乾燥させる、冷凍、、)

・加熱種類(焼く、蒸す、揚げる、煮る、、)

・加熱具合(少し、結構、じっくり)

・調味料(塩、砂糖、酢、マヨ、リキュール、、)

・時間経過(直後、半日後、翌日、1週間後、、)

と場合分けしていくと、

玉ねぎひとつでも味見のポイントは

本当に無限にあります。


それを工程ごとに試しつづける。

焼いてる途中、煮てる途中で食べる。

たまには素揚げにしてみて食べる。

昨日作ったやつを時間差で食べる。

別の食材を組み合わせて一緒に咀嚼する。


それだけで味と食感と香り、

舌への情報蓄積がかなりの量になります。

玉ねぎの各状態ごとの味覚イメージがすぐに浮かぶ。


これを野菜に限らずどの食材にも当てはめる。

肉、魚、果物、ハーブ、ソース、ドレッシング、、

すべてです。


果物のブ厚い皮を噛んで渋味を感じたり、

カチカチの乾燥スパイスを噛んでウェってなったり、

むせながらいろんな酢を飲みつづけたり、

こっそり生肉を食べたり(少量ですよ)。

そういうので料理への動物的勘が養われると思います。


とりわけ、まかないは最高の実験機会。

いろんな掛け合わせを試して、

実際に商品化するものもかなりありました。

キャリアの浅い頃なんかは、

変わった行動は周りから冷ややかに見られることもありましたがw

でもこっちはいたってマジメ、

そんなことに構ってる時間はありません。


古い発想から新しいものを生み出すにも、

こういう経験がきっと役に立っていると信じています。

こう作ってこれを足せば美味しいはず、みたいな。


料理1年目の職場でシェフに

「やたちゃんはいつもモグモグしてるね。

お腹空いてんの?笑」

と茶化されていました。


確かに1日中なにかしら口に入ってました。

でも意図は分かってくれていたと思います。

そういえばその方もよく食べていました。


まぁ僕は本当はすごい食いしん坊で、

ただただ食べたいだけかもですが。


いま思ってみれば、ウチのスタッフもそうですが

今さっき仕込んだソースの味について、

「ちゃんと美味しい?」と聞くと、

だいたい「わかんないです」と返ってきます。


レシピの分量通りには作れるけど、

その先、成果物への責任と味への好奇心がない。

これは僕の怠惰なのでスタッフは1つも悪くないですが、

ちょんっと手に取って味見してほしいな。


基本的にはそういうもん、と理解したうえで、

しっかり教えてあげたいなと思います。

みんなが料理人になるわけではないですが、

せっかく飲食に携わっている時間があるのだから、

得るものは多いほうが絶対にいいので。


舌を鍛えて、

みんなが家で作るご飯のレベルが上がれば、

社会全体の幸福度もアップ。

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