「えこひいき」で悩む人へ向けて、真面目に考えてみる

これは誰がどこの職場に行っても直面することかと。 

また、する側とされる側と立場はいろいろあることでしょう。


結論としては、仕方ないんじゃないかと思ってます。人間だから。

推奨されることではもちろんないんですけどね。

僕も飲食店でスタッフ抱えてますが、みんなが不満は持ってますよ。

でもこれは、ごめんねとしか言えないです。


極端な話ですが、たとえば

朝から走り回って一生懸命に仕事している人と、

なぜか勤務時間中のプロ野球の試合結果を詳しく知っている人がいるとして。

その2人に同じような態度で接することができますか?っていう。

それだけのことです。


後半で疲れてダラダラと作業しているか、

退勤間際もラストスパートかけてがんばって片付けてるか、

そういうのってあからさまに分かっちゃうじゃないですか。

前者が悪いというよりも、

後者にはプラスで報いてあげたくなる。

これを同じ感情で扱うのはなかなか難しいことです。


別の面から考えてみましょう。

誰かが誰かのことを特別扱いされてると感じるのは、

裏を返せばその人のことを過小評価してますよね。

「あの人だけ優遇されてて気に食わない」と。

けどそれって本当に過剰な優遇でしょうか。

あの人の陰の貢献まで見えてますか。

「あそこまで手厚くされるほどあの人は頑張ってない」

って勝手に評価してませんか。


ちなみに、

自分は他人と比べて平均以上だ、と思うことを

レイク・ウォビゴン効果というそうです。


もう1つ。


これは有名なイラストですが、

左が「平等」、右が「公平」。意味は分かりますよね。


でもほとんどの人は、実生活でこの区別がついてません。

というか、場面によって求めるものが変わっていると思います。


絵を見れば誰もが、左より右の状態が望ましいと考えるでしょう。

みんなが楽しめる。

けど、自分の中で不満がたまってくると、その余裕がなくなってくるんですね。

「なんであの子だけ木箱2つもらえるの?」って。


これはまだ身長差だから分かりやすくていいですが、

仕事の能力っていろいろな要素があります。

記憶力、手先の器用さ、対人コミュニケーション力、忍耐力、人柄、、


部下を抱える人は、

その複雑なものそれぞれに色んなサイズの木箱を用意して、

みんなで観戦を楽しもうと試行錯誤しているわけです。

まぁ経験者の方は分かると思いますが、文句ばかり言われるんですけどね(笑)


僕も昔よく先輩の愚痴を聞いてました。

「全員のためにやっているのに報われない」と。

年齢・性別・実力、、さまざまで本当に大変なんですよ。

せっかく木箱を持ってきたのに座り込んじゃったり、

居なくなっちゃったりね。もう!笑


で、これまた用意するものが一律に木箱なら分かりやすくていいですが、

たとえば褒められたい人と褒められたくない人っているんです。

よかれと思って褒めたのに、厳しく叱ってほしいって。


平等な方針(イラスト左)なら、頑張りに対しては全員に同じように褒めます。

でもそれぞれが望むようにするとなれば、

同じ仕事に対してこの人は褒め、この人は厳しく、ってしなきゃならない。

こっちの人には木箱、こっちの人には大リーグボール養成ギブス、と。


で、そのギブスはめてる現場を別の人が見たら、

「あの人だけ厳しくされてて、嫌われてるのかな?」

みたいな噂になって、あの人は好き嫌いで態度を変えてるみたいな。

変な誤解が広がるんですね。欲しいものを渡してるだけなのに。

(個別に対応を変えるのは高コストすぎて現実的ではありませんが)


ここまでで、全員が納得するなんて不可能なのが分かると思います。

あるときは平等を、あるときは公平を望むのが人間です。


こうなったらもう機械が感情抜きでスタッフの評価をするしかなくなります。

じゃあそれで、たとえば仕事が苦手な人は面倒見てもらえるでしょうか。


というと無理かと思います。

低い評価で切り捨てられて終わりです。


最終的な結論として、

えこひいきの全くない平等な社会が行き着くのは、

実は弱者に優しくない、冷たく生きづらい社会です。

機械的に一律に評価されるというのは、感情・人情の否定ですから。

それを世間が望むのなら仕方ないですが。


今の世界が理想として掲げる「新しい価値観」が、

実はその進む先は残酷であったり破綻していたりということは多々あります。

そういう風に伝統を否定して誕生する思想は、一度疑ったほうがいいかもしれません。

伝統にはそれなりに価値があります。


話がそれましたが、こういう問題の根本的な原因は

他人のことばっかりに関心を持ちすぎなことです。


「他人がもらうもの」ばかり見ないで、

自分にできることを静かにやっていけばいいんじゃないでしょうか。

これは人生のコツ、精神衛生がすごく大事です。

気にしてなかったけど意外と自分もたくさん受け取ってたりします。

むしろ優遇してもらってたとしても、隣の芝生はいつも青いんです。


で、それでももっと自分が評価されるべきと感じるのであれば、

素直に「もっと褒めてください、報酬をください」って言っていいと思います。

伝えなきゃ伝わらないし、

それが実力に合った要求であれば受け入れてもらえます。


でもただの自意識過剰だったとしたら、それまで。

もっと成果出して見返してやるなり、転職するなり、独立するなり。


用意された楽園はどこにもありません。

でも、いつどこでも楽しめる心を持つかどうかは自分の責任です。

欲しいものがあるなら自分で築きましょう。


部下を抱えている立場の人は、

あまり神経質になりすぎず、良心に従っていればそれでいいと思います。


僕なりの平等の根拠ですが、

ウチの会社は歴代で約30人のスタッフがいます。

極端ですが、弊社のスタッフとその家族、OBOG含め

困ったときは全員の面倒見るつもりです。

店を畳むとなれば次の仕事が見つかるまで付き添います。

お金はないですけど貧乏暮らしは得意なので、

食べ物はスーパーの値引きの8枚切り食パンで十分。

僕の食費は100円以下で3日間はいけます。

その浮いた分で家でも少しくらいは養えると思います。

そこら中に頭下げて、もらえる物はなんでももらってきます。

寝袋生活とかもいい思い出になるでしょう。

別に清貧アピとかじゃなく、無理せずそう思います。

まぁ、みんなのほうから願い下げでしょうけど。


実際のところ、

僕はスタッフ全員に対していろんな形でひいきしてます。

それは待遇面だったり、現物支給だったり、

失敗のフォローだったり、様々ですが。

(その特別扱いが本人に伝わっているかは知りません)


えこひいきは仕方ないと言っておきながら、

もっと大きい視点で平等に全員を想っています。

それは誰が好きとか嫌いとか、そういう次元ではないので。

全員かわいいです。個々にかけている「エネルギー量」は同じ。


スタッフがいてくれる感謝、苦労、喜びは何事にも代えがたいです。

それが、わざわざ会社をやる意味。


だから小手先の細かいことには目をつぶってね、

というのが正直なところで。

だってただの田舎の普通の人間ですので。

そんなに完璧にやりきれないです。


全員に対してえこひいきしているので、

全員が「平等に扱われてるなぁ」と思うのは

きっと永遠に無理だと思います。

とはいえ、加減を気にしながらいつもビクビクしてますよ。


働いてればいろいろあるけど、

でっかくてなが~いソファ運んできて、みんなで観戦しようよ、

っていうのがワタクシなりの愛情表現です。

コメント